02: スケジュール管理が苦手で、忘れ物ばかり
(事例教材の〈事例〉の部分の抜粋。内容は今後変わる可能性があります)
わたしは京都にある、新しい小さな私立大学の教員で、佐藤といいます。専門は中国文学で、一般教養の中国語も教えています。わたしのクラスに出ている鈴木さんのことを紹介します。
鈴木さんは、わたしの所属する国際関係学科の1年生です。わたしは、1年生の彼女にとって必修である中国語の授業担当者です。鈴木さんは、ADHD(注意欠如多動性障害)の診断を受けていて、彼女の登録した授業の各担当教員には配慮申請が出されています。
その配慮申請には診断名と「かくかくしかじかの理由で物を忘れることが多いため、課題等を課す場合は、できるだけ文字で書いて伝えてください」という依頼が書かれています(書かれていたのはこれだけです)。
そこで、鈴木さんに、具体的にはどんなことに困っている/いたのか聞いてみました。
鈴木さんは小学生のころから、忘れ物が多く、宿題も覚えていられなかったそうです。ただ、忘れたことに気がついたら、休憩時間中にささっと片付けていたそうです。勉強が得意だったため、小学校〜中学校はそれで何とかなったそうです。診断を受けたのは高校生のときで、ADHDのことを話に聞いて、思い当たることが多かったため、診断を受けることを決めたとのことです。
鈴木さんは、大学では、上述の通り配慮申請をしています。しかし「課題等の連絡は文字化して伝える」がどこまで有効かを聞いてみたら、「文字化したメモを見ること自体を忘れるので、ないよりはましだけれど……」という芳しくない答えが返ってきました。つまり、記録してある媒体を見るという習慣がなければ、紙に書いてもらってもダメ、LMSでの通知もダメ、eメールによる連絡もダメ……ということらしいです。
鈴木さん自身も対策をしていないわけではなく、課題があることに気がつくこともあるそうです。しかし、大学は授業ごとに課題が出たりするので、たくさんの課題が目の前に積み上がると、どれからやろうかと考えている……というか、パニック状態になっているうちに、時間だけがどんどん過ぎて間に合わなくなってしまうこともあるそうです。
個々の授業の課題よりも、さらに大きな問題があります。我々の学科は、2年次で全員に留学を義務づけています。そのため、1年次では、何回も何回もいろいろな書類を決められた期日までに提出しないといけません。パスポートのコピー、ビザの申請書、銀行の預金残高証明、誓約書……などなどです。しかし、鈴木さんは、これを期日通りに提出することはおろか、提出しないといけないということまで、忘れてしまいます。このような重要書類の提出を怠ると、我々の学科ではペナルティポイントを加算していくことになっています。このポイントが一定数に達すると、留学が許可されません。鈴木さんが書類をきちんと出せないことは、留学の支援をする部局でも問題視されています。
「そういう手続きは、友だち同士で、『ねぇ、あれ、出した?』とかおしゃべりをしているときに気がつかない?」と、わたしが尋ねると、鈴木さんは、なるべく友だちづきあいをしないようにしていると答えました。それは、友だちとの約束なども片端から忘れてしまうため、小学校以来、たびたび人間関係が壊れることがあり、それが原因で、人と一定以上に親しくなるのを避けているのだそうです。
鈴木さんが忘れるのは、学校関係の用事だけではないようです。日常生活の中でも、しなければならないいろいろなことを忘れるため、リマインダアプリを使って、「帰宅するころ」「バイト先に着いたころ」を見計らって、リマインダが自分のスマホに届くようにしているそうです。
ある日、鈴木さんから、わたしに対して次のような希望が寄せられました。
リマインダを共有するアプリがある。これを使って、授業の前日の決まった時刻に、課題を知らせるリマインダを届けてほしい。特定の個人だけに届けると、特別扱いをしているようなので、クラスの希望者全員に届けるようにしたらどうか。
わたしは、これを良いアイデアだと思いました。課題を忘れるのは、何も鈴木さんだけではありません。こうすれば、クラス全体の課題提出率も向上するのではないかと考えました。しかし、同僚の教師にこの話をしたら、批判も出ました。曰く「他の授業でもそういう要求が出てきたらどうする?」「それは『学習者オートノミー』とは逆方向を向いているのでは?学習に成功する学習者には、自らの学習を計画し管理するメタ認知的学習方略を使える学習者が多い。そういう学習方略に習熟することを妨げるのでは?」
わたしは熟考した末、時刻指定のリマインダの利用を始めました。案の定、他の学生からも好評でした。しかし、時刻指定のリマインダだけでは、鈴木さんの問題は完全には解決しませんでした。リマインダを見て、すぐ課題に取りかかることができれば問題はないのですが、何かの用事があって、「これが済んだらやろう」と考えて後回しにし、そのうちに忘れてしまうことも多いのだそうです。
いちばん確実なのは、「授業が終わってすぐ、学校にいる間に、課題を済ませる」であると、鈴木さんは言います。これができるときは、問題が起こらない、と。わたしの授業は2限(昼休みの直前の時間帯)にあります。そこで、毎週、その教室を昼休みの間、借りて、希望する学生には、そこで昼食を取りながら課題を片付けることを勧めました。教師(わたし)もまた昼食をそこで取り、質問があれば受け付けるようにしました。ただし、この方法は、誰にでもできるという方法ではなく、当該の授業がたまたま昼休みの前だからできたことです。
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